2000.10.14〜2001.01.28
ライカのエピソード@〜E・番外編
北郎(キタロウ)さん
@ライカ DIIIa
昭和21年当時17〜18才だった私は、カメラが欲しくなり父にねだったところ、どんなものが良いか徹底的に調べるように言われ、上野の国立図書館に通いました。
知識を持つにつれ、ライカとコンタックスのどちらかに絞られました。ライカに決めた理由は、その設計基本に感銘したためです。フールプルーフという言葉もその時覚えました一つです。その過程で「ライカの使い方」の本も神田で手に入れました。
敗戦直後で世界中もちろんライカなどの新品はありませんでした。たまたま、父の知り合いが当時より有名なA商会の社長だったので、中古店にまで同行して選んで下さり購入したものです。
当時、手持ちカメラでの夜間撮影などは常識外で、両国の花火大会にライカを首からぶらさげ、自分で作ったPRESSの腕章をつけて、ズマールF2のレンズを(ゲゲゲの鬼太郎のお父さんの一つ目のように)ギラギラさせていたところ、占領軍のMPが気づいてくれ一般立ち入り禁止のベスト・ポジションに担ぎ込まれました。『さすが、ライカの威力!』と思いました。
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| 高知港にて(平成9年5月20日・Smmar50/F2) |
カトレア(平成9年・Smmicron50/F2) |
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A押入れと泥棒
何事も凝り性の私は、現像・引き伸ばしを試みようと、自宅の2階洗面所を暗室にしたいと思ったところ、「暗いところに篭るのは健康によくない」と両親に大反対され断念しました。(結核にかかったら、効く薬は未開発でしたから、頑固な私でも納得したわけです。)
当時35mmフィルムは映画用の長尺物しかなく、占領軍の横流し品を手に入れ、夜押し入れで布団をかぶり、夏は汗ダクダクになりながら、真っ暗闇、手探りで鋏で切り、やっとマガジンに3〜4本まとめて巻いてから使っておりました。勿論、カラーなど無く白黒フィルムで感度も精々DIN15(ASA25)以下程度だったと記憶してます。電子露出計はまだなく、セルロイドの露出目安器具を使い、照度は自分の勘で決めるしかなかったので、失敗は素人の自分にはやむえないことと諦めておりました。(昭和59年セコニック露出計購入後この問題は解消しました)
購入当初よりデシケーターに入れ大切に保管していたところ、泥棒に入られDIIIa,ズマール50F2が皮ケースごと盗難に遭いました。直ちに警察に通報した所、刑事がきて「えっ?ライカだって!」と盗難品が判ると急に色めき立ち、「カメラ番号は?」と聞かれました。私は悠然と、念の為寝室の壁に書いてあったカメラ番号を指差すと(笑い)、刑事は警察手帳に控え、「この犯人は逮捕確実」とニンマリして帰っていきました。
後日、犯人は捕まり、私のライカはキズもなく無事に戻ってきました。またまた、『さすがライカの威力!』と思いました。
Bライカと無銭旅行
昭和20年代なかば、中学同級の2、3人の友人より大学生時代の思い出に奈良、京都、別府等の観光旅行同行を熱心に求められました。親がかりの身、とてもその様な大金は工面出来ないので残念ながらと断わると、「金は取敢えず皆で立て替えておく、是非写真担当として来てくれ」とのことで同行することにしました。
奈良で制服、制帽の我々がたまたま、正倉院(古来の木造のみ)に近ずくと宮内庁職員が丁寧に「学術調査でも勅封なので内部はお見せできません。外部からの写真だけにして下さい。」と言われ、我々の方がビックリ、後でやっと『さすが、ライカの威力!』と気付きました。
芸術写真など無縁の私ですら、猿沢の池には感動し、何とか全風景を克明に写して置きたいと、シボリ最小にし、焦点深度目盛りを一杯に活用した距離を決め撮影したところ、遠近感の全く無いひどい写真でした。ズマールf2さん、ごめんなさい。
大阪より別府までの船旅で神戸港に寄港した際、夕闇迫る時、離れて行く桟橋に出航を見送る美しい女性を見つけ、初めて無断で思わずシャッター(f2開放)を切り、ドキドキしました。
パーサー(客船一等事務長)に貴重品を預ける様に言われ、私は「万一、船が沈んだ時はどうなるのですか?」と聞き返しました。「人命救助が第一ですから・・・・」と、当然言ったので、命より大事なライカは首に下げ、胸に抱えたまま、学割3等大部屋で寝ました。
ユースホステルなどの制度はまだ無く、旅館の選択は何故か私の担当になり、京都・別府など、その地の最高の旅館を訪ね、「一番悪い部屋でも良いから、なんとか安く泊めてほしい」と交渉すると、女将さん、支配人さんがでてきて快諾し、「新婚旅行には、是非当館を・・」とご主人も同席した夕食の料理も、部屋も最高でした。勿論、貴重品としてライカを預けまた。
この旅行、今になって初めて何故自分が誘われたのか・・やっとわかりました。誘われたのは私でなく、ライカでした。
Cライカとデシケーター
昭和20年代初期、資料(上記掲載写真の本)に依れば、ライカの保管上の注意は「速写革ケースから外し、布に包み桐箱か、ブリキ缶入れる」ぐらいでした。
ライカ購入後、直ぐに日本橋、三越本店の斜め前にあったシュミット商会に行き、ベテランの年配の支配人(未成年であった私には40才以上の方は皆年配)に、いろいろと相談している内に、「レンズも、ライカ本体のプリズム・金属の原料は、元は自然に風化する岩石に過ぎない、特に日本の梅雨時期は最悪なので、デシケーターに入れて保管する様」に強くアドバイスされました。
直ちに、省線電車(JR)神田駅周辺の理化学機器販売店で、ガラスのデシケーターを、使用上必要なワセリン、指示色付きシリカゲールと共に購入し、重いガラスの容器を抱えて帰宅しました。
以来55年間、ライカ本体レンズ付きを始めとして、望遠、交換レンズ、ツァイツ双眼鏡、ミノックス、顕微鏡のレンズ等は使用後は、必ずこれに入れて保管しました。副産物として3、40年前の幼児時の長女、長男のポジカラー写真は今でも殆ど退色がありません。
ライカ・ウィルス感染症は殆どは楽しく、辛くても楽しい思い出で済みます。
中には笑い話もあり、時には危険なものもあります。例ば、ライカの日光浴。(西日とレンズと火事は3兄弟)。
次の迷信は特に悪質です。
ほんの一部とは思いますが、防湿保管はレンズのみで、本体は表面の革が傷むとの、まことしやかな噂が流れている様です。
ちょっと冷静に考えれば直ぐ判ることです。
表面に革が使用されていますが、ライカと言えどもメカが命の機械です。距離測定用の重要な17個近く(例M3 フォトメンテ、ヤスダHP参照)のプリズムやレンズが黴により曇ったり、湿気からくる錆は精密なメカの大敵です。
私のDVaは、故障一つ無く、距離測定もクリヤー、ズマール50f2もレンズは黴、疵も皆無で、新品同様の順調さです。実際55年経ても、革部も上記掲載の写真の通り、ぼろぼろなどに成っていません。
さて、近年ライカ愛好家を中核に、防湿の知識が普及され、キャビネット型電気防湿機も販売されようになりました。
又、プラスチック製の安価なデシケーターも出て、シール剤のワセリンも、高性能化学合成品に代わりました。しかし、電気・電子防湿器機は故障の心配があり、特に貴重なものは二重にデシケーターにと、お勧めします。シールさえ完全なら10年位放置しても完璧。そのためのデシケーター(ガラス製)です。
最近、各種防湿機器が開発されたのも、知識と需要の中核のライカ愛好家皆様の力と『さすが、ライカの威力!』の賜物と思います。
PS
デシケーターは理化学機器販売店で簡単に購入できます。プラスチック中型で、シール剤、シリカゲール込みで約¥8,000です。
防湿機器協会?(そんなのあるのかな)から表彰状が来るかな・・・(笑い)・・・・
Dライカと図書館
昭和20年代なかば、コピー機・テープレコーダーは未開発でした。
元来、筆記は苦手の私は講義を聞くのが精一杯で、やむなく自己流速記、又はライカで友人のノートを接写しルーペで読んで居りました。
後日、接写を見ていた妹より卒論資料収集のため、図書館貸し出し禁止の本の撮影を求められ、接写装置を付けて同行しました。
同室の閲覧者の迷惑に成らない様出来るだけ静かに、隅の明るい窓際で三脚を立て、接写を始めたところ、当時としてはあまりの異常な光景なのか、全員読書を止めて注目されてしまい、兄妹共困惑してしまいました。
直ちに図書館長の知るところとなり、ライカと近写装置を見るなり、3日間の特別貸し出しを即時決定、本と共に兄妹丁寧に追い出されました。『さすが、ライカの威力!』は有難いと思いました。
PS
接写装置は、日本製近写装置で、焦点距離補正用の単レンズを正面に重ねてセットするタイプです。
当然この設計外のレンズにより、ズマールの性能は台無しでした。
(1)敗戦後米軍占領中の低賃金日本経済の下、高性能のライツ社純正品はとても高価で、フィルター、フード以外は、安価な日本製コピーで我慢して居ました。
純正近写装置Nooky−HESUM、望遠レンズなどは、高嶺の花・・・・・・・ライカは持っているのに・・・・(笑い)
勿論、全てのレンズはライツ社純正品のみでキャノンなどが、「ライカに追いつけ、追い越せ」と互換性のレンズを開発したのは、まだ先のことです。
(2)この日本製装置は約30年前に廃棄処分、本件執筆調査中、急に思い立ち、Sooky(Summicron 5cmと刻印)を購入しました。目下、鋭意、50年ぶりに近接試写中ですが差は歴然、『さすが、ライツ社純正品の威力!』は目を見張るばかりです。
Eライカ受難の時代・およびその復活(完結編)
昭和30年代、私も結婚・2児の誕生と被写体には事欠かず、DVaが最も活躍した時となりました。ところが家族にとってはいい迷惑だったらしく、何しろライカが大事、誰にも触らせない、シャッターを切るまでやたら待たせる・・・・・とやっかいものだった様です。
「ライカに追いつけ追い越せ」とカメラ・レンズの技術進歩・競争は激しく、ベトナム戦争においてはUPの記者ですら日本製のキャノンなどを選び、あっという間に世界のカメラ代表はライカだけではなくなりました。それはそれとして日本人としては誇らしく思いましたが、寂しい気持もありました。成長した息子でさえ、「そんな古ぼけたカメラは嫌だ!」とバカにし、もっと簡単、軽量、安い、高性能なものを自分の小遣いで買う始末でした。それでも私自身は(ミノックス・ポラロイド・8mmズーム撮影機は別として)違う高級35mmカメラを購入する気にはなれませんでした。
それからはデシケーターの中で眠っていることが多く、時々シリカゲルをチェックする度に眺めるか、記録写真を撮る程度で20年以上経ちました。外へ持ち出すのを恥ずかしがっていたところ、「とんでもない、古いライカのブームが起きているから」と知人に言われ、平成9年5月、瀬戸大橋、渡橋ドライブの為と土佐の四万十川の鮎釣りにライカDVa ズマール50f2 を持って出かけました。できあがった写真(上記掲載高知港写真一部参照)を2人の知人に見せたところ、その両人も急にライカ・ヴィルスに感染して、「絶対手だしはすまいと長年思っていたのに、買ってしまった・・」とズミクロン50f2で撮影した写真を見せられました。今度はこちらがぎょっとなり、居ても立ってもいられなくなり、ズミクロン50f2とエルマー90f4〈青年時代の高嶺の花)を購入し、コーティングされたレンズ(共にfeetタイプ)のすばらしさを実感しました。
翌年また鮎釣りに和歌山、日高川に出かけた帰路、出来たばかりの淡路大橋の渡橋ドライブと撮影のため・・・(広角レンズでなければ、巨大すぎて、とても駄目と痛感)・・フェリー船で淡路島に渡りました。船中で、関西国際空港を撮影中、望遠撮影に不慣れな私は、手で距離計の窓を塞ぎピンボケを起こしてしまいました。又、孫の運動会にもDVaに、エルマー90f4、ユニバーサルファインダー装着、堂々と首からさげて出かけました。(動く被写体には、相変わらずピンボケ?・・・〈笑い)
まさかこのような日が訪れるとは夢にも思わず、せっかく収まっていたライカ病も再発しそうです。なお、小学生の孫と同行の釣り行きには、家族にライカ持参は禁止されています。孫とライカ、どっちが大事か、私が理解して無いとさえ思われているからです。もしかして、本当かも・・・・(笑い)
インターネットでは、ライカ愛好家の皆様のHPも見ることができ、生きている化石の様な私も、著名な『ライカ広場』に投稿できました。又,名古屋の新年会にも出席、皆様ともお会い出来ました。『さすが、ライカの威力!』 に感謝!
では皆様、ごきげんよう。
番外編・ライカの持ち方
初期の私と同じように、NHKドラマ「オードリー」の子役俳優は、左指全部を使いレンズを回し距離設定をしており、それはそれなりに素人ぽく、ライカバルナック型の久しぶりの登場を楽しみました。
掲示板でもストッパー(ピントレバーロック)が問題になっているようですが、それも基本的なライカの持ち方にかかわる問題だと思います。
当時調査した過程でライカ基本設計に関わる持ち方を記した文献は国立図書館にもなく、2〜3か月かかり直接輸入原書を取り寄せた結果やっとわかりました。
シャッタースピードとシボリは前もって決め、最後の撮影状態になった時には、動く被写体でもすばやく写せるよう距離だけを決める為に下記の持ち方がアドバイスされています。
右手は人指しゆびのみシャッターの上におき、他の指は本体の保持につとめます。
左手も人指しゆびのみを使い(他のゆびは本体保持)常にロック解除状態を続け(ピントレバーボタンに触れていれば自然とそうなる)、∞から1mまで常に移動できるようにしながら、ピントがあった瞬間にシャッターを押すように設計されています。プロのカメラマンはこのピント合わせ動作をコンマ何秒以下という速さでこなしていた世界です。(私には到底無理なことでしたが・・・。)
それ以外の持ち方をすると、手が距離計の一方の窓を塞ぎ、距離が測定不可能になったり、∞に近かずくといきなりロックがかかり、∞近くの微調整が不可能になります。
人指しゆびのみを使った場合は、たとえ1mのところに指をもって来ても、絶対に窓を塞がないように設計されていますから、安心して距離合わせに集中できます。
撮影完了時のみ、∞に持っていき指を離すと自動的にロックされます。この状態はレンズが最短となり、それ以外の時は沈胴しても速写皮ケースに当たる心配がありますから、ロックはそれを指で感じる為でもあります。
もちろん、レンズ交換時(特に外す時)にはロックした状態のままレバー部分に力をかけて回し外します。そうすればレンズは基盤ごと外れ、レンズの基盤の厚みは関係なく、どこにも無理が掛かりません。
望遠レンズについては、左手は前方に重心があるので、全部の指でレンズを持ち距離を調節することになりますが、特に距離計の窓を塞がないよう常に注意を要します。外す時は無理なく元を持って外せるはずですし、望遠レンズを付けたまま速写ケースには収納しませんのでロックはついていません。望遠レンズと言えども∞がレンズの最短なので、どのレンズも最短で収納するよう癖をつけるといいと思います。
当たり前のことのようですが、カメラの持ち方・レンズ収納・交換までも考えられて設計されていました。
PS
@上記のことは、あくまでDVa購入時に調査したことで、それ以後のことはわかりません。
Aシボリはロック又は、アンロックどちらでも関係なく軽く調整できます。メモリ限度以上に反時計方向に回そうとするとヘリコイドがまず回転し、その倍の力を加えるとレンズは基盤ごと回転しますが・・・。普通の状態でシボリ環とヘリコイドが一緒に回転するようなら、専門家のオーバーホールが必要な時期です。(オイルはレンズの大敵です)
Bあくまでも手動での目安ですが・・・、トルク(ねじの締めつけ基準)で言えば、ヘリコイドを 0.5kgとしたらレンズ基盤は1kg、シボリ・距離0.1kg以下・・・のような力加減です。
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