2000.11.23
JUNさん
事の始まりはケルンで行われたフォトキナでした。
ぼくはドイツのケルン音楽大学で勉強している貧乏学生です。二年に一度フォトキナの行われる「ケルンメッセ」のすぐそばに住んでいます。
ある偶然から、そのフォトキナでバイトをする事になってしまいました。ちなみにカメラは好きなんです。今まで使ったカメラはEos650に始まり、NIKON F3−P、Fフォトミック、newFM2、CONTAX RXと続き、最後にはライカにまで手を出してしまいました。
IIIfとエルマー50ミリ/3.5がぼくのライカの始まりです。
エルマーの描写とIIIfの美しさと現代カメラにはない様々な儀式(?)にはまってしまったぼくはその後、ズマロン35ミリを購入して、この「ボディ一台レンズ二本」という健全な(笑)状態で満足していました。
その後、ドイツに留学する決意が決まり、Eosとライカを除く全てのカメラと三脚などのアクセサリー類は愛車のミニクーパーと共に留学資金となってしまいました。
話をフォトキナのバイトに戻します。
バイトといっても、一日だけ、あるフィルムメーカーのお手伝いをするだけでした。しかし、入場券自体は通しのものを支給されていたのでなんだか毎日行かないともったいない気がして期間中は散歩がてらにフォトキナ会場をまわっていました。(実はドイツに来てからは忙しさのためにカメラというのはどちらかと言えば、どうでも良い存在になっていました)
一応ライカユーザーということで、ライカのブースをひやかしに行きました。なにしろ、普通では買うことはおろかカメラ店でケースから出して見せてもらうことすらはばかってしまうM6を好きなだけ触るチャンスなのですから。
ライカのブースはメインブースの横が雛壇状になっていて、そこに、よく観光地などに設置されている有料の双眼鏡のような状態でモデル別、さらにそれぞれ違うレンズが取り付けられたライカたちが並んでいました。
人があまりいない時を見計らって早速M6にとびつき、初めは恐る恐る、次第に遠慮なしに片っ端から並んでいたライカさん達(ドイツ語では「ライカ」は「女性」なのです)を制覇してゆきました。
その日の帰り道で一緒にいた彼女に「やっぱり実際に触っちゃうとダメだね〜」などと軽い気持ちで言っていたのですが、まだその時には自分の中で再び俗に言う「ライカウィルス」が異常な勢いで増殖しているのに気づいてはいても、まだそれを無視できるだけの「抵抗力」が残っていたのですが…。
家に帰って早速したことは、ライカ関係のホームページのチェックでした。どこのページも盛り上がっているではないですか。そして、それぞれのHPの内容や掲示板の書き込みを読んでいるうちに、「M型も実はそんなに敷居が高くないのではないか」という気持ちになってきました。「そうだ、ライカのブースでプライスリストをもらってきたっけ」というわけで、値段のチェック、しかしM6はやっぱり高嶺(高値か)の花でした。ボディだけで、ぼくの一年分の家賃に相当します。
それなら中古を見てみようということでライカを多く扱っているお店に行ったのでした。その店はケルンでは一番大きいとはいえ、日本に比べるとやはり品数は非常に少ない、しかもフォトキナの際に日本人が大量に押し寄せた後とあってはなおさらの事でした。フォトキナ以来M型が気になって仕方がないぼくはバルナックタイプには目もくれずに毎日のようにM型のショーケースの前でにらめっこをしていました。
そんな毎日が続いて、いい加減にライカ担当の店員にも顔を覚えられた頃、一台のLeica CLに目が止まりました。それは隅の方で隠れるようにして置いてありました。値段はズミクロン40ミリ付きで五万円弱、これならぼくでも買える。程度は外観もファインダーも全くきれいでズミクロンも「ホントに使っていたの?」と思われるほどきれいなものでした。ただし、露出計が死んでいたのとシャッターの1/2が壊れていて、1秒くらい開いてしまうのでした。でも、ズミクロンが付いてる、それで十分でした、黒のコンパクトなボディもイケてます。多少の不安はありましたが、勢いで買ってしまいました。
エルマーの描写に十分満足していたはずなのに、ズミクロンで撮った写真を見たときは、もう大騒ぎでした。実際にはぼく一人で大騒ぎをしていて、その相手をしなくてはいけなかったぼくの彼女は大変だったことでしょう。
というわけで、IIIfで止まっていたかに見えた「ライカ病」の進行は、ここにきて急速に進んでしまったのでした。「ライカウィルス」をサポートしている「ズミクロンウィルス」がこれほどまでに強力だったとは…。
これからもぼくは、ライカをはじめとする各種レンズの持つ魔力に取り込まれてゆくのでしょう。
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